世界史に出てくる長い名前でおなじみの偉人、マルクス・アウレリウス・アントニヌス。
今回はそんなマルクス・アウレリウス・アントニヌスについて書いていきたいと思う。
◎マルクス・アウレリウス・アントニヌスとは?
マルクス・アウレリウス・アントニヌスは古代ローマ帝国の五賢帝(5人の皇帝)のうちの1人だ。
マルクス・アウレリウス・アントニヌスは6歳のころから騎士名簿(富裕層の兵士)に登録され、聖職の学校に年齢が満たないため入学できないところ規定が改正されるなどの特別扱いをされて過ごしてきた。
その後成人するとファウスティナと結婚して14人の子供を設けるが、そのほとんどが10歳前後で亡くなってしまっている。
結婚後すぐに首都長官という役職につき、その後24歳で財務官となる。
その後、マルクス・アウレリウス・アントニヌスは執政官というローマにおける最高役職(定員2名)に3度も就任することになる。
執政官とは、国の政治と戦争の軍事の両方を指揮する最高司令官だ。
マルクス・アウレリウス・アントニヌスは国内の政治においては経験も豊富であるが、一方で軍事においては知識や才能に乏しかったため、戦争が起きたときには何度も苦戦した。
当時のローマでは幼少期に亡くなることは珍しくなかったが、マルクス・アウレリウス・アントニヌスは70歳まで議会に参加していて、その時に倒れて亡くなったのである。
◎マルクス・アウレリウス・アントニヌスの年表
121年 ローマに生まれる
138年 首都長官に就任
ファウスティナと結婚
139年 財務官に就任
140年 1度目の執政官就任
145年 2度目の執政官就任
160年 3度目の執政官就任
161年 皇帝に即位
164年 アルメニクスの称号を与えられる
166年 パルティニクスの称号を与えられる
171年 ダキアニクスの称号を与えられる
172年 ゲルマニクスの称号を与えられる
180年 ウィンドボナで議会中に倒れ死没
◎マルクス・アウレリウス・アントニヌスの名言
マルクス・アウレリウス・アントニヌスは哲学についても学識があり、それにもとづいて国を治めた皇帝で、数々の名言を残している。
今回はそんななかからいくつか紹介していきたい。
・この世においては汝の肉体が力尽きぬのに魂が先に力尽きるのは恥ずべきことではないか
・われわれの人生はわれわれの思考が作り上げるものに他ならない
・幸福はその人が真の仕事をするところに存す
・空中に投げられた石にとって落ちることが悪いことではないし、昇ることが良いことでもない
・よい人間のあり方を論じるのはもう終わりにして、そろそろよい人間になったらどうだ。
・ひとつひとつの行動を人生最後のもののごとく行え
・エメラルドは人に褒められなくてもその価値を失わない
☆まとめ
世界史に出てくる長い名前でおなじみの偉人、マルクス・アウレリウス・アントニヌス( ・ω・)ノ
マルクス・アウレリウス・アントニヌスは古代ローマ帝国の五賢帝で、執政官を3度もつとめるなど当時のローマの政治において大活躍した人物だ(^o^)/
マルクス・アウレリウス・アントニヌスは数多くの称号や重役への就任を達成していて、幼少期に亡くなることは珍しくなかった時代では長寿といえる70歳まで生きていて、亡くなる寸前まで議会に参加していた( ・ω・)
そして、マルクス・アウレリウス・アントニヌスは数々の名言を残していて、どれも今でもいえそうな素晴らしいものである(^3^)/
マルクス・アウレリウス・アントニヌスはすごい偉人だな、そしたら子供にアントニヌスと名前をつけよう…
安斗仁奴主…特攻服に書いてありそう 笑
みんなの夢が叶いますように、杉でした(^^)v