長崎県にある世界遺産、軍艦島。
今回はそんな軍艦島について書いていきたいと思う。
◎軍艦島とは?
軍艦島は正式名称は「端島(はしま)」という名前の島で、建物はいっぱい残っているが無人島である。
島内には集合住宅のあとがたくさん残っているが、多くは朽ちていて危険であるため、島の見学ツアーでは立ち入り禁止になっている。
島には船でしか行くことはできないが、風速が秒速5メートルを超えるとき、波の高さが0.5メートルを超えるとき、視程が500メートル以下のときは危険であるため上陸することはできない。
また、島に行けたとしても、条例により1時間しかいられないため、軍艦島に行くことは貴重な体験なのだ。
◎軍艦島が昔栄えていた理由
軍艦島は1970年ごろまでは残っている建物の様子からわかるようにとても栄えた島であった。
その最大の理由は石炭である。
軍艦島で採れる石炭はボタと呼ばれる粗悪な炭が少なく品質も高かったほか、石炭は当時の世の中でもっとも重要な燃料であったため、炭坑で働く人の給料は高かった。
さらに、離島であることから「端島手当」と呼ばれる独自の手当があったほか、水道代、光熱費はタダだったため島民の暮らしはとても豊かなものであったのだ。
しかし、石炭が衰退して主要エネルギーが石油へと移り変わると、島はどんどん衰退していき、1974年に炭坑が閉山するとその年に無人島になってしまったのである。
◎世界一の人口密度
軍艦島は昭和35年が人口のピークであったが、この時島に住んでいた人は5267人だった。
軍艦島はたて160メートル、よこ480メートルの非常に小さな島であり、これはとんでもないほどの人口密度である。
東京23区は1平方キロメートルあたり4400人、ニューヨークは1平方キロメートルあたり1万人くらいの人口密度であるが、当時の軍艦島は1平方キロメートルあたり8万3000人とけた違いの人口密度だった。
そのため、集合住宅や学校、病院などの建物はすべて10階建てくらいの高層ビルのように作られていたのである。
☆まとめ
長崎県にある世界遺産、軍艦島(^ω^)
軍艦島は正式名称は「端島」という名前で、今では上陸が困難な無人島だ(^-^)/
軍艦島が昔栄えていたのは、当時の主要エネルギーである良質な石炭がたくさん採れていたからだ(^o^)/
そして、軍艦島の全盛期の人口密度はとんでもなく高く、東京23区やニューヨークなども比べ物にならないくらいだったのだ(^3^)/
無人島を買って栄えさせて第2の軍艦島作ってみようかな…
「密です」って言われそう 笑
みんなの夢が叶いますように、杉でした(^^)v