すぎぶろ!!

すぎの経験、体験、雑記

考える人、考える牛

ロダン作の有名な銅像、考える人。

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そして、バルセロナにある銅像、考える牛。

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どちらも制作者の意図としては「何も考えてない」らしい。

ではそもそも「考える」とはなんだろう?

考えるとはなにか考えると2種類あることに気づいた。

1、分析

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こっちの店で買ったほうが100円安いとかセットで買ったほうがお得など人間が無意識にやっている「考える」で多いのはこの「分析」だろう。

たとえば「○○したい」と思ってやり方調べないでいきなり取りかかる人はほとんどいないし、はじめてやることは人に聞くなり自分で調べるなりすることがほとんどだ。

情報量が年々増え続けている現代では、この「分析」を考える人が多いだろう。

2、創造

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創造とは何もないところから新たなものを生み出したり、既存のものを発展させたりすることだ。

有名な言葉の「1%のひらめきと99%の努力」の「1%のひらめき」の部分がここにあたる。

創造はふとひらめくこともあれば何年も何年も考え続けて出てくることもある。

ものや情報が溢れている現代において「創造」することは難しいかもしれない。

☆まとめ

考える人、考える牛、制作者は何も考えていないという設定で作ったものだ( ・ω・)ノ

考えるには2種類あって1つは「分析」、もう1つは「創造」である(・ω・)

分析にしても創造にしても「もっとどうしたら良くなるか」という前提があって出てくることだ(^-^)/

つまり「考える」ことはポジティブなことなわけで(^o^)/

考える人、考える牛、どちらも深く考えてるけどその考えてる内容を考えるのは「見てる人」なのかもしれない(*´▽`)

何が創造できるかな?

みんなの夢が叶いますように、杉でした(^^)v